エンジョイ 隠岐の島 ウォーカー in 島根県  〜 隠岐旅 バイクツーリング 〜  本日は2018/10/18です 

このサイトは隠岐の島で暮らす人々の歴史・文化や
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 北:中沼了三の祖母 「一石一字」

ある日、隠岐の島町中村出身の儒学者、中村了三の生誕地を訪れ
「中沼了三先生顕彰碑」の横にあった「一石一字塔」
はじめて「一石一字塔」を知ることになった場所である。
中沼家の第9代の道磧が文化6年(1809年)江戸で医を学び
江戸から妻「うら」と何日もかかって中村へ帰った。うらが20歳の時であった。
うらは中村で浄土宗を信仰するが、もとは日蓮宗の深い信者であったらしく
一石に一字ずつお経の文句を刻んで埋め「一石一字」の塔を建てました。
塔に「浦女」と刻まれているが、これは「うら」の事なのか?
「うら」は中沼了三の祖母にあたる方です。

 南:洞岳和尚の「金剛明最勝王経□□一字一石」

隠岐の島は4つの有人島で、それぞれの島が町村で教育委員会がある。
島の歴史などを調べるには、
隠岐の教育委員会が発行する「隠岐の文化財」が参考になる。
その「隠岐の文化財13号」に、
今津「完全寺」山門の碑 洞岳和尚の一字一石塔は、
「二百年ばかりの歳月により、文字はかなり摩耗しており、次の様に判読できるが、不明が二文字(□)ある。」
「功徳師一如洞岳大和尚 金剛明最勝王経□□一字一石」と記載されている。

現在も今津地区に「完全寺」はあり、地域の人の帰依厚く、信仰の中心であった。
1596年(慶長元年)、隠岐の島町城北町にあった
護国寺住職大渓和尚の開基とされ、
薬師如来を本尊とする曹洞宗の古刹である。
裏山に四国八十八ケ所の霊場があり、過去には資金を集め本場の四国へ巡拝していた。

 西:道端にあった「奉納法華一石一字塔」

昔の隠岐の事を調べる書籍として各町村誌がある。
都万村誌は1990年(平成2年)に発行されたものであり、
「第二章寺院 第六節路傍の石仏と供養塔」を参考に、
今、どのようになっているのか? ひとつづつ現地を訪れ探した。
その中で「一石一字塔」を見つけることになった。
都万村誌の記載は
「[中里]法華塔 都万役場前の十字路横にあり、 詳細は不明である。」

 東:建立は佐藤寺か?「三部妙典一石一字塔」

別の取材で犬来地区の「浄土宗 天然寺」を訪れた時、
天然寺前の墓地に大きな岩に文字が浮かんで見えた。
この場所は親戚の墓地があり、何度も訪れていた場所で
なんと隣に「一石一字塔」が建てられていたとは。
表に刻まれている文字「三部妙典一石一字塔」
「三部妙典」 とは、浄土宗の根本聖典である 。
「無量寿経」「観無量寿経」「 阿弥陀経」のこと。
裏には「天保十二(西暦1841年) 辛丑九月 一點一稱 佐藤寺」
「辛丑(かのとうし)」は、陰陽五行思想の「干支(えと、または、かんし)」のひとつ。
「一點一稱」を現在の漢字水準で表すと「一点一称(いってんいちしょう)」
佐藤寺は隠岐島の過去の寺院一覧に記載がない、なぞ!

 地図

島後(隠岐の島町)はさまざまなパワーが 秘められた島かもしれない。
陰陽五行説の五方は、東は「木」、南は「火」、西は「金」、 北は「水」、中央は「土」。
「一石一字塔」は東西南北に建てられていて、
その中央「土」に「島民」が暮らしている。
島民は「一石一字塔」のパワーで守られているかもしれない。